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もう1月の新武将もアップされ、残る期待は2月の新武将アップデート・・・

有名武将からマイナー武将がでていますが
今までで出そうで出ないキャラを出してみますので
2月の武将に運営さん是非!!

武将編

藤堂高虎(とうどう たかとら)
1556~1630 

和泉守。浅井氏に始まり徳川家外様筆頭となるまで7度も主家を変え、戦国を生き抜いた。先見の明があり処世術に優れ、いち早く権力者に取り入り戦国の荒波を泳ぎ切った伊勢・津二十二万石の主。築城の名手としても知られる。

かなり有名どころだと思いますけど、個人的には好きな武将
高虎の築城は石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があるんですってw

加藤清正(かとう きよまさ)
1562~1611

清忠の子で幼名虎之助、主計頭。秀吉子飼いの勇将で賤ヶ岳七本槍の一人。「虎退治」など数々の逸話を残す。築城の名人として知られ、後の居城の熊本城は難攻不落の名城として特に有名。大坂の陣の前に豊臣秀頼が二条城で家康と会見した際に警護役として随行、帰国直後に謎の急死。ために毒殺説が囁かれたが詳細は不明。

戦国無双3ではパッケージ結構メインキャラになっていたけどなw

福島正則(ふくしま まさのり) 
1561~1624 

正信の子。豊臣秀吉麾下筆頭の猛将で、左衛門大夫を称す。「賤ヶ岳七本槍」の一人で、関ヶ原の際には東軍に属し竹鼻城・岐阜城の戦いに活躍、本戦でも先鋒左翼を務め宇喜多勢と激闘を演じた。戦後これらの功により安芸広島四十九万石の大封を拝領。直情家かつ酒好きで失敗も多かったようだが、純な性格は家臣からも慕われ、その軍勢は統制が取れ非常に強かったという。後に幕府より広島城無断修築の罪を問われて信州高井野村に配流、その地で没した。

上記二人(ほかあり)は石田三成暗殺計画を企てたw

伊達政宗(だて まさむね)
1567~1636 

輝宗の子。仙台藩祖で幼時に右目を失明、独眼竜の異名を持つ奥州の名将。父輝宗の奇禍により家督を相続して以来、奥州の国人衆を次々と攻略、広大な勢力を築いたが秀吉の小田原攻めへの遅参を咎められ、所領を削られた。長女の五郎八(いろは)姫を家康の子・忠輝に嫁がせ徳川家との結びつきを強め、また南蛮貿易を企図し家臣の支倉常長をスペインに派遣したことでも知られる。

なぜ出てこないのと思う逸材。というより伊達家作ってくだされ!

金時敏(きん・じびん)

第一次晋州城攻防戦では、敗走した上官の入場を拒否したが、内外呼応した防戦を行い、晋州城の守将として細川忠興率いる2万の軍による猛攻を7500の兵で凌ぎ、6日でこれを撃退した。しかし、金時敏自身は日本軍の銃創が元で39歳で戦死した。死後王室から宣武功臣二等と領議政を追贈された。この戦いを韓国では「晋州大捷」として三大大捷の一つに評価している

だれこいつと思われる方が多いかもしれませんが、日本史の黒歴史といわれている朝鮮出兵の敵国の総司令ですw
自分も調べてるうちに名前わかった^^;

剣豪編

伊東一刀斎(いとう いっとうさい) 

本名は景久、伊豆国生まれの剣術一刀流の祖。鐘捲自斎に神陰流を学び、後に独立。ただ2人の弟子であった小野善鬼と御子神典膳に下総小金原で勝負させ、勝った典膳に一刀流秘伝を相伝した。なお、この典膳は後の小野派一刀流の祖・小野忠明である。

大谷吉継の剣のお師匠様

疋田景兼(ひきた かげかね) 
1527~1605

通称文(豊)五郎、号は小伯(虎伯とも)。晩年には栖雲斎(せいうんさい)を名乗る。上泉信綱の甥(異説あり)にあたり、当時畿内随一と評判だった柳生宗厳と三度立ち会い全て勝ったと伝えられる。後に豊臣秀次の剣術師範を経て豊前中津細川家のち肥前唐津寺沢家に仕えたという。

柳生宗厳=柳生石舟斎。つまり極に3回もかった@@!

宮本武蔵(みやもと むさし)
1584~1645

二刀流の達人で二天一流の祖。佐々木小次郎との舟島の戦いで有名な生涯無敗の剣豪。奇矯かつ傲慢な性格と伝えられ、風呂嫌いで身だしなみに欠けていたことから仕官先が見つからなかったという。しかし晩年には客分ではあったが細川忠利のもとで禄を喰んだ。著書に「五輪書」、また画家としても名高い。

バカボントで見たのですが、たしか関ヶ原の戦いに参加しているのでギリギリ戦国時代だ!

忍者編

石川五右衛門(いしかわ ごえもん)
? ~1594

戦国期の畿内を中心に荒らし回ったとされる盗賊団の頭領。秀吉の命により京都所司代前田玄以の手に一族もろとも捕らえられ、京・三条河原で釜ゆでの刑に処された。もとは百地丹波門下の伊賀忍者との説も。京都の大雲院に墓がある。

有名よね・・
(なんかコメントが適当になっているような気が・・^^;)

加藤段蔵(かとう だんぞう) 
生没年不詳

通称「飛び(鳶)加藤」。戦国期で最も異能の忍者のうちの一人として知られる。上杉謙信に仕えるべく越後へ行くが、そのあまりの異能ぶりに追い出され、続いて武田信玄のもとへ行くがやはり魑魅魍魎の類と見なされ、土屋昌次に斬られたとも、馬場信房の屋敷にて射殺されたともいう。

というか知らない・・^^;


まあこんなところでしょうかww

詳しくは下記のサイトを見てください^^
戦国浪漫
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