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長篠の戦いで大勝利を向かえた織田軍はその勢いのまま、全方向にむけ侵略を進めていた。

○対武田方面・織田信忠・滝川一益軍団(天正元年結成)
○対本願寺方面・佐久間信盛軍団(天正4年結成 - 天正8年消滅)
○北陸方面・柴田勝家軍団(天正4年昇格)
○近畿方面・明智光秀軍団(天正8年昇格)
○山陰・山陽方面・羽柴秀吉軍団(天正8年昇格)
○関東方面・滝川一益軍団(天正10年結成)
○四国方面・織田信孝・丹羽長秀・蜂屋頼隆軍団(天正10年結成)
○東海道の抑え・徳川家康
○伊賀方面の抑え・織田信雄
○安土城 ドブ掃除 信秀

また、幸いなことに上杉謙信が急死し、上杉軍の勢いも止まり、長篠で大敗した武田勝頼に追い討ちをかけ、武田氏を滅亡にも追いやった。
大阪湾では九鬼嘉隆の考案した鉄甲船の活躍により毛利水軍に勝利し、石山本願寺は毛利軍の援助を受けられず孤立し、この頃から織田軍は優位に立つ。
そして長きに争ってきた本願寺軍も正親町天皇の勅命のもと織田軍に有利な条件を呑んで和睦し、大坂から退去させた。
また、雑賀衆の頭領・雑賀孫一らを降伏させた。

九州では大友氏や龍造寺氏が信長に属する意志を伝えており、島津氏は単独で信長に対抗せざるを得ない情勢であった。

信長周辺の敵は一掃されたのである。織田信長の次の目標は西日本、毛利軍、長宗我部軍に向けられており、天下統一まであと一歩の所まで進んでいた・・・


しかし、信長の態度に不快感をもつ一部の武将たちが裏であるプロジェクトが進んでいた・・

信秀 『ここにあつまった同士諸君よ。これから軍義にはいります。ここから先は内密に事を進めるでござる』
明智 光秀『わかっておる。』
羽柴 秀吉『しかし、明智殿も災難でござったな徳川殿の接待役解任されてたあげく鞭打ちとは・・・』

武田氏との戦いで労のあった徳川家康の接待役を5月15日より務めた。しかしながら、17日に光秀は接待役を途中解任され、しかも罰として小姓(信長の世話係)の森蘭丸に数度むち打ちされたとか、腐った鯛を掘りに捨てられて馬鹿にされたという話もあります。

信秀 『佐久間殿のことがありますからな。追放されるやも知れませんな。』

織田信長が織田家の跡を継いだ頃からの、織田家の重臣である「佐久間信盛」と「林通勝」。
しかしこの2人が突然、織田信長からリストラされてしまうという事件が発生。
佐久間信盛がクビになった理由としては、「石山本願寺城の攻撃を任せていたのに、何の進展もないまま何年も戦線を硬直させてしまった」 のが主な理由とされ、林通勝に至っては 「信長が織田家を継いだとき反乱を起したから」 という、30年近く前の出来事が理由にされていたのであった。


羽柴 秀吉(次ぎに追放されるのはおまえだろw)

信秀 『明智殿 恥ずかしくはないのか?あんな大衆の前で恥をかかされて・・』

羽柴 秀吉(おまえも負けぬぐらい恥に恥かいているがなw)

明智 光秀『・・・・・・・・・』

信秀 『明智殿 どうやら国替えの噂がでておりますが、真相はいかほどで?』

明智光秀は織田信長に持っている領地を全て取り上げられ、これから攻めに向かう毛利家の領地を代わりに与えられたと言われています。
これを「国替え」と言います。
しかし、代わりに与えられたと言ってもそこはまだ敵の土地です。
さらに領地が取り上げられるという事は、明智光秀の家臣や一族の領地もなくなる事を意味します。
それは明智光秀にとって、死活問題でもありました。


明智 光秀『もうがまんならん!大殿を切り捨ててやろうぞ!』

信秀 『フフフッフ』

明智 光秀『これから悪魔を打つため軍を率いる準備をするのでこれにてごめん!』

羽柴 秀吉『・・・・@@;』
信秀
 『これで大殿を討った光秀を倒せば、我々の天下がみえてきますな!羽柴殿(`∀´)Ψヶヶヶ 』

本能寺の変では光秀の裏に黒幕がいたという説が強い
その一人が秀吉である。ご存知「中国大返し」である。
経緯はこうである。
秀吉は毛利方の高松城を水攻めにしている最中であった。
6月3日の夜、秀吉の腹心・黒田官兵衛の陣に毛利の安国寺惠慶への使者というものが迷い込んだ。
捕まえてみると光秀からの書状で6月2日未明に信長を討ち取ったいう内容であった。
秀吉は高松城主・清水宗治の切腹を条件に、毛利と和睦を結び、5日かけて約200kmを引き返し、
山崎の合戦で光秀を破ったというものだ。ただ、この和睦に疑問を持っている。
中国の大大名である毛利がこうもたやすく和睦を結ぶであろうか。

そこで浮上するのが秀吉陰謀説である。
本能寺の変の前にはすでに毛利との和睦交渉が開始されていたと見る。
そして、それは信長が死ぬことが前提でである。
秀吉は毛利との和睦を成立させると直ちに引き返す。
しかし、引き返すには準備が必要であり、その準備期間は本能寺の変の起こる前であったと考えられる。
最終的に本能寺の変が発生して最も得をしたのが秀吉であったからだ。


もし、仮に裏に更に黒幕がいたとしたら・・・・・ふふふふ

つづく・・・
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